4/2 リンクス 清流川川歩き ②
本日4/2 リンクス高麗川メンバー6名で清流川の川歩きを行いました。
後半は、一本橋~かわせみ街道下までのリポート
ここにもマンガンらしき地層が。
途中、外川少年が50年以上前に魚捕りに興じていた岩場を発見。変わってない〜。当時は素手で獲るのが少年たちの流儀だったって。
野趣には富んでいたけれど、様々なゴミが川底に埋もれ(自転車とか)、農業用シートが枝や水草に巻きついていたりで、せっかくこどもに戻って冒険を続ける一行を、しばしば現実に引き戻すのでありました。
通り抜けは不可能です。私たちの冒険もここまで。魚たちも、流されてきたら上流には戻れない。
大量の拾得物(ゴミ)を持って同じルートを戻るのも大変なので、陸へ上がることに。清流の和田さんの畑を抜けないと道にたどり着けず、怪しい大人6人で、許可をいただいて通り抜けることになりました。
川を遡ってきた連中に呆れたのか、いろいろな話を聴かせてくれました。
その1、40年以上前は、素手でも魚が獲れたようで、鰻もたくさんいて、仕掛け
その2、上流にゴルフ場ができてから、清流川は一変したそうです。 魚が急に少なくなり、鰻も獲れなくなった。もういないよって。
40年ほど前に高麗川で獲った魚の中に異様な姿のものを見つけた時 から、川の魚を食べることをやめたのだそうです。 その頃に比べると、いくらか水はきれいになっているが、このあたりの魚は食べないと決めているって。
日頃から当たり前のように関わり、豊かな恵みをもたらしてくれていた川への思いと、上流に造られたゴルフ場から流れ出る汚染水によって、急激に病んでいく川の姿を間近に見てきた怒りと悲しみ、あるいは諦めのような思いを語ってくださった和田さん、ありがとうございました。本当は川のこと、大好きなんだろうなと思いました。
1970〜1980年頃、ゴルフ場が建設だけでなく、カワセミ街道が開通して流れにダムが造られ、農作業に使用する農薬や除草剤、化学肥料、家庭排水などが垂れ流されていたことも影響しているとは思います。
シメはたき火&美味しいゴハン
一本橋のたもとで月子謹製 豆ご飯を食べながら、外川さんの「清流川の歌」他のライブもあり。リンクスの小さな冒険、清流川川歩き、無事終了しました。