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リンクス高麗川 LINKS KOMAGAWA

埼玉県西部を流れる高麗川の真の再生を夢見る人たちの集い

それでもコンクリート遊歩道はいりません リンクス高麗川からの提言

遊歩道問題 メッセージ 活動報告

 川のまるごと再生プロジェクト 第8回日高市部会報告 

2015年12月11日、リンクス高麗川の代表として、高麗川 川のまるごと再生プロジェクト第8回日高市部会に参席、リンクス高麗川として以下の提言を述べさせて頂きました。

 

リンクス高麗川からの提言

   平成二七年十二月十一日

                             リンクス高麗川 代表 新逹也

 本日はリンクス高麗川の、高麗川まるごと再生プロジェクトにおける、遊歩道計画に対する提言を述べさせて頂きます。
 この夏、初めてこの問題を知った私たちは、以来、数限りないミーティング、学習会、現地調査などを経て、要望書の提出、さらに十一月三日には川歩きと独自の現況説明会を開き、延べ百人の参加を得ることができました。そうして、多くの市民の考えを聞き取りながら、今、ようやく集約することができました。

 私たちの考える遊歩道は、石と砂の小径です。自然の形状をそのまま生かした散策道を望みます。そのような小径を巾着田から高麗神社まで、また坂戸市境から高麗神社まで、断続的に結んで欲しいと考えます。

 そして全世界に誇れる自慢の遊歩道であって欲しいと願います。また、それだけのポテンシャルが、高麗川にはあると、確信するのです。

 先ず、橋からの景観を重視しながら、河原へ降りる小径を整備します。そこから魚影を眺め、水鳥や水生昆虫を観察し、家族でくつろげる親水エリアとして河原を整備します。橋から橋を繋ぐ小道は、高麗川右岸左岸をうまく活用しながら繋いで行きます。名栗川の吾妻峡が良い例です。

 これからの時代、エコツーリズムの視点に立った場合、そのような河原を繋ぐ緩やかにうねった小径は、観光資源としてとても重要なものと考えます。

 高麗川沿いを歩きたいと思う観光客は、わざわざ田舎に来てまで、都市公園型の整備が行き届いた遊歩道を求めている訳では無いでしょう。そのような方々は、巾着田を周遊されるだけで十分堪能されるのではないでしょうか。

 今回の計画予定地の大半は埼玉県立奥武蔵自然公園に含まれ、市民はもとより、近在の都市部で生活する人々にとっても貴重な地域となっています。遊歩道を造るなら、そのような自然公園に相応しいものが望まれます。観光に訪れた方々は野趣に富んだ豊かな自然環境であればこそ、歩く気になるのであり、結果、高麗川も賑わうというものではないでしょうか。

 自然環境こそが日高市の未来を支える貴重な財産となるのです。今回の遊歩道計画はそういった観点からは、むしろ真逆な方法で工事を進めようとしています。籠マット工法、石積み工法といった多自然工法に準じたものではあるにせよ、底部と天板はコンクリートで固めた恒常的なものです。

 もちろん、造るからには繰り返し起こる増水に耐えうる強固なものでなければならない。それは分かりますが、そのような形態のものは、堤防のある下流域ならともかく、両岸が自然河岸に囲まれた高麗川の景観にはそぐわず、ミスマッチなものと言えます。

 また、工事を進めるためには、大型重機や大型トラックを導入するための仮設道路敷設、川底のドライ化、瀬替え等が付きものですが、高麗川には大型車両の乗り入れ可能な隣接道路がほとんど無いという現実、更に、川底に手を加えることによる環境へのダメージを鑑みますと、やはりそのような規模の工事は控えるべきというのが、私たちの見解です。殊に発注区間であります清流橋上流中程には、大きな岩(通称亀岩)があり、市民憩いの場となっています。万が一にも仮設道路敷設にともない、亀岩が掘り起こされるようなことはあってはならないことです。

 また、未発注区間であります、お蔵淵から高岡橋間は高麗川特有の景観美を有するものであり、嶋田忠氏が撮られたカワセミの写真集の核となった場所です。当時日高町はその写真集を切っ掛けにカワセミ日高町の鳥に指定、今もシンボルとして扱われていることは周知の通りです。

 その重要性は日高市役所一階受付脇から二階へと続く階段の壁際に展示されている数点のお蔵淵下流の写真でも明らかなはず。すなわち、日高市職員の方々も、お蔵淵の重要性を認識されている現れと読み取れるのです。

 さらに幾つか流れる湧水付近には湾処が形成され、生き物たちの貴重な生息地となっています。そのような日高市の財産・資源・資本として貴重なエリアを自らの手でみすみす消滅させる工事は絶対に避けなければなりません。

 私たちも高麗川のあるべき姿がこのままで良いとは思っていません。かつて河原へ降りられたほとんどの場所が今は降りられず、浸食が進む一方で、土砂が堆積し、葦に阻まれ、河岸はマダケに覆いつくされそうになっている現実に、何とかならないものかと思う気持ちは、皆さんと同じではないかと思います。

 だからこそ、より良い高麗川の再生を願い、未来の子どもたちに受け渡すための活動を目指し、私たちはグループを結成したのです。

 そして今、私たちは、高麗川の未来予想図というものを考えています。高麗川がこうあって欲しいという思いや、イメージを書き記し、少しづつ白地図を埋めて行くのです。

 その中から竹蛇籠について紹介致します。

 竹蛇籠は日本古来より治水、護岸の方法として活用されてきました。また生き物たちの貴重な生息、繁殖場所として、更には、水質浄化装置としても可能性を持っているものです。詳細は添付資料の未来予想図をご覧ください。
 現在私たちは、市内の竹籠職人より、その編み方を教えて貰っています。高麗川でも実際に竹蛇籠が使われていたとのこと、それを実際に作っておられた方から直伝していただけるのですから、間違いありません。

 更に、エコツーリズムの観点より、高麗郷をめぐり、巾着田から高麗神社まで、小径を繋ぐエコ・マップ作り、高麗川に生息する生き物調査、子どもたちと川を歩きながらの体験学習など、未来の主役となる子どもたちを巻き込んだ活動を通し、高麗川を、そしてより豊かな日高市の在り方を目指し、市民・行政・法人三位一体となった協働体勢の一助となればと考えているのです

 リンクス高麗川はかねてより、行政に対し、反対のための勢力では無いと申し上げて来たのはこのためです。先祖代々、この地に生まれ育ち、あるいは、この地に惚れ込んで、終の棲家と心決めた者たちだからこそ、不用意な対立は避けたいもの。むしろ、高麗川を愛するが故の苦渋の発起であり、悩み抜いた末の決断として、ここに述べさせていただきました。

 本日出席されたみなさま、どうか今一度、本計画を見直し、奥武蔵自然公園に相応しい、高麗川に合った遊歩道を再考してくださいませんか。

 コンクリートの遊歩道はいりません。
 これが私たちの思い至った結論です。

 

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提言・質疑の結果

 

リンクス高麗川にとって、今日はとても大切な日。
この日に向けて、今まで幾度もミーティングを重ねてきました。
また、11月3日の高麗川を歩く会+遊歩道計画説明会に参加された多数の方々より寄せられた多くの意見。


そうした声を真摯に受け止めながら、導き出した解が上記の提言となりました。

今日の参席の経緯は、私たちが9月30日に行政に対し提出した要望書の回答によるものです。
3つの要望の中、市部会の参席のみが受け入れられた形となりました。

 


参席とは言え、ピンポイントでの出席であり、今回の遊歩道計画に異議を唱える一つの市民団体として、提言の場が設けられたというもので、議事全体への発言権は与えられませんでした。

また、3名の傍聴も審議の末、容認され、議事進行をきちんと目撃してもらうことができました。

提言の後、3つに絞った内容を中心に質疑となりました。

 

・遊歩道はコンクリートではなく、石と砂の小径で

・細切れの遊歩道ではなく、高麗神社、坂戸市境まで、右岸・左岸を活用し断続的に延長

 (*あくまで石・砂・踏み跡程度の小径が続くということが前提です)

・市民置き去りにした計画の進め方の是正

 

このような私たちの提言に対し、思いの外多くの参席者、主に地区の区長さん、高麗川で活動するボランティア団体役員さんなどから、たくさんの意見や質問が寄せられました。

私たちの用意した資料は、提言の直前にみなさんに配りましたので、それまで、私たちの提案内容は、行政の方々始め、参席された役員さんの、どなたも知らない状態です。いわば、「ガチ」で提案したものに対し、「ガチ」で質疑対応するという、抜き差しならないものでありました。

 

そのような状況の中、私たちの提案に対し、真っ向から反論・反対というのでは無く、

私たちの唱える言い分を良く聞いてもらった上での、

「そうは言うけれども、やはり、遊歩道は安心・安全・安定したものとして、コンクリートでしょう」というところに落ち着いたのでした。

 

その中から幾つかを要約・抜粋致しますと、

 

・踏み跡程度の小径で、大水で流された時にはどうするのか

・大水が来ても崩れないよう、コンクリートで作ってもらいたい

・部分的には、提案にあったような小径でも良いと思うがどうか

・清掃する立場からもコンクリートのほうがやりやすい

・生き物も大切だが、安心・安全が第一

・増水しても水が引いたら直ぐに歩けるものであってほしい

・コンクリートと言っても、今はいろいろなものがあるので検討したらどうか

・お蔵淵下流、大ケヤキ周辺はカワセミの聖地、計画から外してほしい

・市部会だけで決めて来たわけではなく、アンケートもあったので、市民置き去りとはいえない

 

などなど


さらに、リンクス高麗川とは別に、


埼玉県河川環境団体連絡協議会、
清流青空保育の会 ぽのぽの、
高麗川コンクリート遊歩道に反対し計画再考を求める会、


からも、それぞれ提言・要望書が寄せられていました。


進行役となった日高市担当部長が上記4団体から寄せられた提言・要望を要約、協議の結果、まとめとして、

市部会として受け入れられるもの

・自然への配慮をした工事を行う
・景観・環境に配慮し、お蔵淵〜高岡橋間の見直し
 具体的にはお蔵淵下流・大ケヤキ付近を計画から外し、
 遊歩道はその手前(高岡橋側)に留める

 

市部会として受け入れられないもの

・石、砂を主体とした踏み跡程度の小径ではなく、
 遊歩道はコンクリートで固めることで一致
・市民参加の計画
 今回の計画に対しては無いが、将来的には(案件によっては)

 市民より委員公募の可能性もある

ということで、とても残念ではありますが、

今日の市部会では、概ね予定通り、計画が進められることが確認されました。

 

一方、私たちの提言を受ける形で、参席された方の口添えがあり、お蔵淵下流・大ケヤキ周辺は計画から除外されることになりました。このことは一つの成果と捉え、私たちの声がけして無駄ではなかったと感じることができたのでした。

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ここにたどり着くまで


8月14日結成以来リンクス高麗川では、毎週のようにミーティングの機会を設け、仲間同士でディスカッションを重ねてきました。


既にそのこと自体が奇跡的なことであり、個人個人が自発的な発露から、今回の遊歩道問題に取り組んで来たことの表れでした。

発足当初より、私たちのスタンスは、対立・対決姿勢ではなく、どこまでも対話を目指して行こうということで一致していました。

 

対立・対決姿勢から生まれるものは少なく、たとえ短期的な成果は得られたとしても、結果的には、憎悪と分断が深まるだけではないか・・・これからの市民団体の在り方として、あくまでも対話を主眼に置きながら、市民と行政が一体となった協働体制を求めて行こう、という思いがメンバー相互に強くあったが故のことなのでした。


とはいえ、具体的にどのような活動を進めて行くかという段では、試行錯誤の繰り返しでした。
何度も話し合って行くうちに、メンバー相互の見解の相違、遊歩道に対する温度差、目指す方角の違い・・・など、互いの様々な思惑が露見、なかなか一枚岩としてまとまることができませんでした。


通常、これまでの市民団体の在り方からすると、この段階で空中分解ということもあり得たでしょう。けれども、私たちの場合は、更に互いの思いを述べ合いながら、相手を理解し、思いやり、その中から導き出したこととして、けしてきっちり一つにまとまる必要はないだろう、それぞれ、思い思いの活動や、方向を目指しつつ、その上で互いを尊重することで歩み寄っていきながら、納得できる上での解を導き出して行くという、現在のリンクス高麗川の基本スタンスが見えてきたのでした。大切なのは、互いに尊重し、理解し、認め合うという、最も人と人との関わりの中で基本的なことだったのです。

 

そのことは、人と行政、民族、宗教、国家、さらに人と自然との在り方においても、まったく同じことが言えるのです。

自然は、黙して語らずと思われるかも知れませんが、そのようなことはなく、生き物も、木も、草も、そして石や水でさえも、互いの関わりの中で存在しているのです。その関わりの中で、どう自分を輝かせて行くか、それには、自己主張とは真逆な発露が必要となるのです。

 

生物は進化の過程で自己主張を繰り返し、強いもののみが種を繋いできたと思われがちですが、それは間違いです。環境と順応しながら、その環境と折り合いを付けながら、つまり互いを認め、理解しながら、徐々にその場所に相応しく定着してきた・・・そして、そうあるべきという見解に、私自身、リンクス高麗川を通して気付くことができました。どちらが強くも弱くもなく、上でも下でもなく、あるのはまったく「たいら」な世界のみなのです。

 

さて、この4ヶ月間、私たちの活動への理解は少しづつ拡がり、ミーティングに参加するメンバーも一つ一つ階段を昇るように、じわじわと増えています。


反対に、これまで運営を支えて来たメンバーが一人も欠けていない事実は、リンクス高麗川の在り方が間違っていなかったということ、集まった人々がそれぞれ真摯にこの問題に臨んでいるということ、多くの賛同や支えがあったこと、何より、メンバーの高麗川へ対する思いと愛の結果として、とても誇らしく思っています。

 

まとめ

 

先にも述べたとおり、9月30日、私たちは日高市長、飯能県土整備事務所長、埼玉県知事宛に、要望書を提出しました。それから、行政と話し合う機会を通じ、今回の市部会参席という流れに至ったわけですが、リンクス高麗川の今後の活動方針は、次回運営委員会を待つとして、ここでは、市部会協議で感じた、私個人の率直な感想を記すことで、本稿をまとめたいと思います。


リンクス高麗川は一市民グループです。その一グループの発言で、何らかの賛否が決められてしまうとしたなら、それはやはり今までの市部会同様、ごく限られた一部の人たちによる会議と同じことになるでしょう。

 

私たちが当初から求めている、情報公開は未だ叶わず、市民参画という観点から見ますと「川・山・自然」を対象にしたこの度のような計画は、特により広く、様々な立場の市民から発言を求め、あるいは意見を取り入れるというのが理想ではないかと思います。

 

例えば女性がいらっしゃらなかった。(2名ほど確認できましたが、発言をされることもなく、県職の方かなとも思いましたが、違っていたらごめんなさい)市部会員の多くは、林住期の後半とお見受けする男性の方々。若い子育て世代のお母さんとか、もっと様々な世代の意見を取り入れたら面白そうです。

 

今回、一部見直しはあったものの、協議は淡々と進み、まともな採決も採られないまま、とても重要なことがいとも簡単に(軽々と)決められてしまったという印象はぬぐい去れません。

 

もちろん、これまで7回に及ぶ市部会を経て、様々協議を繰り返したことの裏付けがあってのことと思いますが、今回、ピンポイントとして初めてこのような場に参加した者としては、今回のような自然界に大がかりな手を加えること(少なくとも私にはそう感じられます)に対して、このように軽々しく決めてしまって良いものでは無いだろうにというのが、一番の印象でした。


多くの意見は、コンクリートで固めて欲しいとの意見でしたが、それは皆、現世を生きるご自分たちの都合で、自然界から見た場合の視点、あるいは、未来から見通したような視点、あるいはまた、関東平野とそこを流れる河川を一望に俯瞰したようなビジョンも匂わされることなく、さらには全体を通して、日本特有の自然界の神々・八百万の神々のような、目に見えないものへの配慮があまり感じられない(お蔵淵下流に対しての配慮は確かにありましたが)と映りました。

 

本来、遊歩道のようなプランニングは、河川改修ですとか、橋脚の補修といったような受動性のものでは無く、むしろ、積極的に夢を展開できる、素敵なプロジェクトになり得るものだろうと考えます。その意味で、構想全体を通して、夢やワクワクするような高揚感も感じられないまま、淡々と協議が進められていったことはとても残念なことに思われます。私はこの4ヶ月間、膨大なエネルギーを注いできたことに対し、一抹のむなしさを感じながら協議進行を聞いていたのです。

 

かれこれ10年以上前のことですが、高麗神社の氏子として、こんなことがありました。秋の例大祭を終えた後だったと思います。氏子のなかから、そろそろ高麗神社も例大祭を週末に変更したらどうだろう・・・というような声があがりました。

 

それに対し、先代の宮司高麗先生(私の恩師)は一喝で否定。神社の祭りは人間の都合であるのではない。神様の都合で日取りは決められているのだ。故に例大祭の日取りが替わることは無い!と。


実際、周囲の神社は様々な都合で、例大祭、祭りが週末や祭日に変更されている所が多いのですが、私たち高麗神社の氏子は、その時宮司の言葉を呑むしかありませんでした。そしてそれは代替わりした現宮司の見解としても引き継がれているのです。

ここに何かヒントは有りはしないでしょうか。人が、自然界に対し、手を加えようとする(下そうとする)場合、最も配慮しなければならないことへの示唆が、先代宮司の言葉には含まれているように思うのです。

 

もちろん、日本的な振る舞いとして、土木・建築工事着工前には必ず御神酒を捧げ、清めの塩を撒き、工事の安全祈願を捧げることは今も続けられている、大切な儀式であると承知した上での苦言とお許し頂きたいと思います。

 

川は誰のものでもありません。

人が自然界に接するときの、もっとも大切な姿勢は、畏敬と感謝の念なのです。

その上で、どこまでも謙虚に、そろりそろりと分け入って行くのです。

でないと、自然界から度合いの差こそあれ、必ずしっぺ返しを受けるということを、

私たちは胆に命じ、今一度学ぶべきでしょう。

 

 

                  文・写真 リンクス高麗川 代表 新逹也

 

 

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 お蔵淵・お蔵岩の杜には厳島神社が祀られている。その意味を、それぞれの胸で考えてください。

 


 

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