日高市議会定例会(9月議会)を傍聴しました
日高市議会定例会 傍聴記
高麗川まるごと再生プロジェクトに対する一般質問(田中まどか議員)傍聴の感想として
9月16日、田中まどか氏の市議会質疑の傍聴の機会を得ました。初めて入る市役所の議会空間に身体が馴染むのにかなり時間がかかりましたが、田中氏の前に登壇された議員の質疑を聴くうちに段々と職分がわかってきました。
リンクス高麗川の理念のひとつに、 行政と市民を結ぶことがあります。しかしながら自分自身が行政や政治とは別の職責を果たしていると いう認識から、今まで関心を持つことがほとんどなかったので、行政と市民という視点で耳を傾けました。
私は、政治といえば国会というような認識しかありませんでした。さまざまな法律も含め、 国会で決まれば国民はその法に従うしかない。だから選挙では十分考えて投票しなければならないという認識はも ちろんありますが、こと市政に関してはそれほどの危機感はもっていませんでした。
しかし、昨日の答弁を聞き、市がやっていること、 市だからできること、やらなければならないことが山積していること、それをやっていくには、 市や市民それぞれの郷土への愛が土台にないと困難がたくさん生じる事がわかりました。 そういう環境の中で孤軍奮闘されている横山氏と田中氏にはあらためて尊敬の念を持ちました。そして、 息長く伝え続けることの大変さと大切さを受け取りました。
また、どこにでも生じる派閥や偏見・思い込みといった、 人の心に壁を作ってしまう心持ちは自分も含めて常に戒めたいものだと痛切に感じ、 普段自分が学校現場で行っている、 対話による柔らかい人間関係作りをどこまでも求めたいと改めて思いました。それは、 結論を決めないで対話をしながら未知の結論に出逢うまで、根気強く話し合いを続けることです。
そういう視点で考えると、今回は、 確かに市の不手際は明白ですが、 賛成の意見も多々聞こえているので、市の価値観を覆すのではなく、 田中氏の一つめの質疑のLGBTの問題提起のように事実を見て、伝えて、 一緒に考える中で新しいものの見方を得て共有していくという営みが必要だと思います。
今回明白になった、 市の情報公開や広報の不十分さは多分体質に近いものでしょうが、その根本を考えると、 市民の関心のなさや市側の情報公開の意識の低さがあるのではない でしょうか。日高市は市民の心のセンターが見えづらく、 郷土愛が育まれにくいようにずっと感じています。観光的には巾着田と高麗神社なのでしょうが、 果たしてそのことが市民にとって深く根付いているのでしょうか? そういう意味では、山や川という普遍のものがその意識をゆっくりと育んでいく上で大きな役割を果たすのだと思います。
市民も行政も郷土を愛する気持ちを育てるような取り組みが今まで以上に必要だと思いました。今回の工事に賛成の方々の中にも、大ケヤキやお蔵渕など、それぞれに大切にしている場所があることはリンクスメンバーと変わりません。それは、小さいころ遊んだ記憶が源となっているようです。この機会に、そういうことの掘り起こしができていくと良いと思います。
とは言っても、行うは難しなので、 できることを少しづつやらなければならないでしょう。
文:藪内志津子